日本語要旨

硬骨海綿(Astrosclera willeyana)の地球化学的記録:古環境指標としての評価

硬骨海綿(hypercalcified demosponges:“sclerosponge”)は,海中洞窟や水深数百mまでの暗所に生息し,炭酸カルシウムの骨格を形成しながら数十年〜数百年もの間成長する.その骨格の化学組成を用いた環境解析はいくつか報告されているが,類似のサンゴ年輪研究と比べて圧倒的に数が少ない.これは,1)生息場へのアクセスが容易でないこと,2)成長速度が小さく時間決定や高分解能解析が困難であること,3)サンゴ年輪による長期古気候解析が注目されてきたことなどによる.本研究では,硬骨海綿骨格の化学組成が古環境指標として有用かどうかを定量的に評価することを目的とし,同一骨格内での化学組成の変化(不均一性)および同種間の差違(個体差)について詳細に検討した.

琉球列島沖縄県久米島の水深約40mに生息する現生硬骨海綿(Astrosclera willeyana)を計36個体採取し,同一時期に形成された骨格部位の安定酸素炭素同位体組成および元素濃度比(Mg/Ca, Sr/Ca, Ba/Ca, Pb/Ca, U/Ca)を分析した.その結果,酸素炭素同位体組成およびSr/Ca比は同一骨格内でほぼ同じ値を示し,個体差が極めて小さいことがわかった.また両同位体組成は,生息現場において同位体平衡で形成されるアラゴナイトの値と一致し,Sr/Ca比の見かけの分配係数(1.1)はほぼ1に近く,別種(Ceratoporella nicholsoni)の値とも一致した.これらの結果は,A. willeyanaが共生藻を持たず,vital effectの影響をほとんど受けないことを反映し,これら3つのプロキシが古海洋環境(海水の温度,酸素同位体比,溶存無機炭素同位体比)の解析に有用であることを示す.U/Ca比は同一骨格内での変化および同種間の差違が共に小さいものの,Mg/Ca比,Ba/Ca比,Pb/Ca比は不均一性および個体差が大きく,これらの要因は現時点では不明である.

本研究は,浅海域に生息するサンゴの年輪解析と併せて,より深層に生息する大型の硬骨海綿の化学組成分析を実施することで,過去数百年間にわたる海洋表層〜水深百mの空間的な海洋変動を解析することができる可能性を示しており,今後,さらなる基礎的データの蓄積が望まれる.