日本語要旨

北西太平洋亜熱帯域における19世紀後半以降の海洋環境変動〜硬骨海綿の地球化学的記録からの復元〜

硬骨海綿(hypercalcified demosponges:“sclerosponge”)は,海中洞窟や水深数百mまでの暗所に生息し,炭酸カルシウムの骨格を形成しながら数十年〜数百年も成長する.その骨格の化学組成を用いた環境解析はいくつか報告されているが,類似のサンゴ年輪研究と比べて圧倒的に数が少ない.これは,1)生息場へのアクセスが容易でないこと,2)成長速度が小さく時間決定や高分解能解析が困難であること,3)サンゴ年輪による長期古気候解析が主流であったことなどによる.本研究では,硬骨海綿の化学組成が古環境指標として有用かどうかを検討するとともに,サンゴ年輪記録と比較できるような長期時系列データを硬骨海綿から抽出することを目的とした.

琉球列島の宮古島と沖縄本島に生息する大型の現生硬骨海綿(Acanthochaetetes wellsi)をそれぞれ1個体採取し,同一時期に形成された骨格部位の安定酸素炭素同位体組成(δ18O・δ13C)および元素濃度比(Sr/Ca, Ba/Ca, Pb/Ca, U/Ca)を分析した.その結果,δ18O・δ13CおよびSr/Ca・U/Caは同一骨格内でほぼ同じ値を示した.またδ18O・δ13Cは,生息現場において同位体平衡で形成されるカルサイトの値と一致した.放射性炭素同位体とδ13Cの記録に基づき,硬骨海綿の地球化学記録の時系列データ(1880〜2015年)を年単位の分解能で抽出した.δ13Cの時系列は人為起源CO2の増加によるSuess効果を示し,1960年以降の低下速度は大西洋カリブ海よりも約1.4倍大きいことがわかった.δ18Oの時系列は海水温変化と調和的であり,スペクトル解析の結果は数年スケールおよび20-30年スケールの変動が琉球列島海域に存在することを示す.アラゴナイト骨格からなるAstrosclera willeyanaCeratoporella nicholsoniと異なり,高Mgカルサイト骨格からなるA. wellsiのSr/Ca・U/Caは海水温指標として有用ではない可能性がある.Ba/Caの時系列はローカルな陸源物質の流入量を,Pb/Caの時系列は東アジアにおける工業起源の鉛の放出量を示唆するが,両元素比ともに骨格の同一形成部位の差異や個体差が大きく,現時点で定量的な解釈は難しい.

本研究は,浅海域に生息するサンゴの年輪解析と併せて,より深層に生息する大型の硬骨海綿の化学組成分析を実施することで,過去数百年間にわたる海洋表層〜水深百mの空間的な海洋変動を解析することができる可能性を示しており,今後,さらなる基礎的データの蓄積が望まれる.