清水平野の沿岸低地堆積物における西暦400年の地震性隆起の地質学的証拠
- Keywords:
- sediment core, coseismic uplift, facies analysis, late Holocene, Nankai and Suruga troughs, paleoseismology, Shimizu Plain
歴史記録により,南海・駿河トラフでは,西暦684年の白鳳地震以降,90~270年間隔で,マグニチュード8クラスの大地震と大津波が発生している(図の挿図).これらの大地震・大津波の震源域・波源域は,西から,Z,A~Eの6つの領域に分けられ,大地震は隣接する領域で数時間から数年の期間をおいて,あるいは時間を置かずに同時に連動して起きたことが明らかになっている.駿河トラフ(E領域)の西岸(静岡県静岡市~御前崎市)では,西暦1854年の安政東海地震で約1mの隆起が起き,大津波が襲来した.一方,西暦1944年の昭和東南海地震と1946年の昭和南海地震では,駿河トラフは破壊されなかった.これらの歴史地震の履歴などを踏まえ,近い将来,駿河湾で海溝型地震すなわち東海地震が発生する可能性があるとされ,1978年に,事前予知の可能性を前提にした大規模地震対策特別措置法が制定された.しかし,同法は制定からすでに40年が経過しており,その間の研究によって,西暦1707年の宝永地震と1498年の明応東海地震では,駿河湾西岸で地震性隆起がなかったことが明らかになった.一方,近年,御前崎で発見された隆起二枚貝化石から,西暦1361年正平(康安)東海地震で地震性隆起が起きたことが明らかになった.これらのことから,駿河トラフを破壊し,その西岸を隆起させる地震(以後,安政型地震)の発生間隔は500年にも及ぶ可能性が出てきた.この発生間隔は,数値シミュレーションから算出した発生間隔(例えば,450–500年)と調和的である.しかし,近年の研究では,大地震の発生間隔は多様であることが指摘されている.したがって,安政型地震の発生間隔の検討には,より過去に遡って調査する必要がある.そこで,本研究では静岡市清水区の海長寺の地下の地層記録から堆積環境を復元し,安政型地震の履歴を検討した.同寺院に着目したのは,西暦1011年から現在地(標高約4mの浜堤)にあることが分かっているからである.2地点のボーリングコア調査の結果,堆積環境が潮間帯(A相),潮下帯(B相),海浜(C相)に変化したこと,潮下帯から海浜への急激な相対的海水準の低下が起きたことが判明した(図).そして,保存状態の極めて良い植物(葉)化石の14C年代から,海水準の低下は西暦398年から428年の間に起きたと推定された.さらに,堆積深度から海水準の低下量は1.6 m以上と見積もられた.同時代には汎世界的海水準の低下は起きていないこと,海水準低下は急激かつ1.6 m以上であること,静岡県西部の坂尻遺跡から西暦400年頃の液状化痕が報告されていることから,海水準低下は安政型地震によると解釈するのが妥当である.本研究の隆起の痕跡の発見により,安政型地震の発生間隔の範囲は約500年~1000年となる.また,西暦400年頃に奈良県の赤土山古墳で地滑りが発生していたことと考え合わせると,この時の震源域は南海トラフ東部から駿河トラフ(B~E領域)までに及んだ可能性がある.