ヒマラヤ西部における新生代気候とテクトニクス
- Keywords:
- Monsoon, Climate-tectonic, Himalaya, Erosion, Exhumation, Arabian Sea, Foreland basin, Provenance, Geochemistry, Cenozoic, Weathering
ヒマラヤ前縁盆地およびインダス海底扇状地の堆積物は、新第三紀におけるモンスーンの強度変化がヒマラヤ西部における侵食やテクトニクスの発達にどのように影響を与えたかについての最も詳細な記録を与えてくれる。白雲母のAr-Ar年代は、ヒマラヤにおける急速な削剥が、ヒマラヤ中央部(10-25Ma)より西部(20-35Ma)において早かったことを示しているが、それはおそらく、リソスフェア下部からスラブが剥離することに起因するヒマラヤ山脈の隆起が西部においてより早く開始したことと、それに伴って夏季モンスーンが強化した結果と推定される。17Ma以降に削剥速度が減少したが、これは山脈の隆起が遅くなったためであり、気候変動とは無関係であると思われる。一方、6-8Maに起こったさらなる削剥速度の減少は、前縁盆地における炭素同位体のデータやオマーン沖のODP Site 730から得られたヘマタイトゲータイト記録に示される夏季降水量減少の時期と一致している。一般に,乾燥化は風が強くなるにつれて進行することから,6-8Maの乾燥化は全球的な寒冷化とリンクしたものと解釈される。中新世後期におけるこうしたモンスーン降水の衰退は、熱帯集束帯(ITCZ)の南下および小ヒマラヤにおける侵食速度の増加と同時期である。9Ma以後に開始した小ヒマラヤ内帯におけるアンルーフィング(上面からの削剥により、より深部が露出する事)は、侵食が狭い範囲に集中したことによって引き起こされたデュープレックス構造形成の結果として起こったものだが、小ヒマラヤ内帯の広範囲な露出は6Ma以後まで遅れた。5Ma以後に起こったインダス川堆積物のネオジム同位体比の平均値の減少は、河川争奪による大規模な流域の獲得というよりは、むしろ、ナンガ・パルバット・マッシフにおけるアンルーフィングと共に起こった小ヒマラヤ内帯の露出に起因すると考えられる。