日本語要旨

マサバの飼育実験で検証した餌と水晶体の窒素・炭素同位体比の関係

海洋において植物プランクトンの窒素・炭素同位体組成(δ¹⁵N・δ¹³C)は、生物地球化学プロセスによって変動し、海域ごとに特徴的な値を示す。魚類の筋肉など組織のδ¹⁵N・δ¹³C値は、魚が生息していた海域の植物プランクトンの同位体組成を反映する。魚の水晶体は逐次的に層状に成長する組織であり、そのδ¹⁵N・δ¹³C値は、魚の生涯にわたる回遊経路や摂餌環境を復元する手がかりとして注目されているが、水晶体と餌の同位体比組成の関係はまだ検証されていない。本研究では、孵化から100日間にわたって段階的に異なる同位体組成の餌を与えるマサバの飼育実験を行った。水晶体最外層の「新生線維細胞」は、3, 10, 20, 60, 71, 80, 90, 100日齢に採取してこれらの細胞と餌のδ¹⁵N・δ¹³C値を測定した。6, 100日齢の水晶体については、水晶体内部の「成熟線維細胞」を8~14層に剥離して、これらの細胞のδ¹⁵N・δ¹³C値を測定するとともに、新生線維細胞と餌のアミノ酸のδ¹⁵N値も測定した。その結果、成熟線維細胞の各層から得られたδ¹⁵N・δ¹³C値の時間変化は、新生線維細胞や餌のδ¹⁵N・δ¹³C値の時間変化と整合的であった。マサバ水晶体における栄養段階分別係数(TDF)は、窒素が2.8〜3.4‰、炭素が2.1〜2.6‰であり、筋肉について行われた先行研究の範囲内だった。フェニルアラニンのTDFは−0.8〜0.2‰であった。さらに、本結果を基に構築した同位体収支モデルから、本飼育実験と同様に60日齢で餌が替わったマサバは、観察されたTDF=3.1‰に達するまでに191日を要すると推定された。これらの結果から、マサバが仔稚魚期に生息した海域における植物プランクトンのδ¹⁵N値は、水晶体の成熟線維細胞の各層から得られるδ¹⁵N値からTDF補正することにより、約6か月間の時間積分で復元できる可能性が示唆された。加えて、マサバの水晶体中のフェニルアラニンのδ¹⁵N値が植物プランクトンのδ¹⁵N値とほぼ等しいことから、水晶体のアミノ酸のδ¹⁵N値測定がTDF補正による同位体復元の不確定性を低減する可能性が明らかとなった。